

2022年度のオープンカレッジは終了しました
2023年度のカレッジの発表は9月です。
今しばらくお待ちください

私たちはWAM助成事業と連携し、参加を希望する看護職者を積極的に受け入れています。
詳細は事業のホームページをご覧ください。
https://www.totalsupportnurses.com/



わたしたちのこと
りかばりー・かれっじ炭都は福岡県の筑豊地域にもうすぐ生まれます。筑豊地域はその昔、たくさんの炭鉱があった所で、 活況の時代には日本全国から人が集まり、日本の経済的な発展を文字通り地下から支えました。炭鉱はその当時とても危険で過酷な労働環境で、炭鉱労働者は「命がけ」で働いていました。
しかし、石炭から石油にエネルギー政策の大転換が行われる中で、炭鉱は閉山し、多くの失業者が出ました。人々は心身ともに疲弊し、精神科病院の病床数だけが増えていきました。
筑豊というと「川筋もん」と言われ気性が荒い人が多い土地と誤解されています。しかし、実際に住んでみるととても人情に厚い、温かな土地柄で、住みやすい地域です。
また、古くは五木寛之の「青春の門」で一世を風靡した土地でもあり、青春の門の映画やドラマの舞台にもなっています。
りかばりー・かれっじ炭都がある街の中を歩くと、商店街の人が気軽に声をかけてくれる、ほっとする昭和レトロな空間がそこにはあります。
実は、筑豊の中心にある田川市は、ユネスコの世界記憶遺産「炭鉱画家 山本作兵衛」の絵画が収蔵されている石炭記念館がある街でもあります。石炭記念館を訪れると、炭鉱で働く人々の日常を温かなまなざしで描いた山本作兵衛の作品と出会うことができます。是非、一度は訪れていただきたい土地です。
SPECIAL THANKS
私たちのカレッジは、筑豊地域にある福岡県立大学の教員や元教員、学生や元学生が中心になり、りかばりー・かれっじ炭都として産声をあげました。設立にあたっては、らしさSAGAの運営スタッフや、NPO法人久留米出逢いの会のオープン・スペースゆるかのメンバーに、色々と知恵を貸してもらい、どれだけサポートしてもらっているかわかりません。本当にありがとうございました。また、地元の医療機関も協力的でとても助かっています。ありがとうございます。そして何よりも、場所の提供をしてくださっている、地域の方や福岡県立大学に感謝します。
私たちは、私たち自身のリカバリーと、筑豊地域のリカバリーが同時並行で進んでいけば良いなと、大きな夢を持っています。また、地域を超えてリカバリーカレッジで学んでみたいと考えている方々ともオンラインで積極的につながりたいと思っています。立ち上げ準備のミーティングには、遠くは沖縄、横浜、高知からもご参加いただきました。今後も地域を問わず、多くの方々のご参加を歓迎します。
興味のある方、私たちの考え方にご賛同頂ける方、一緒にりかばりー・かれっじ炭都(TANTO)を創り上げていきましょう‼多くの方のご参加を待っています。
OUR COMMUNITY
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SPACES
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私たちと地域の
リカバリーを 目指した共同創造
障害のあるなしにかかわらず、人生は平坦な道ばかりではありません。順調にいっていたかと思えば想定外の困難なことが起こったり、壁にぶつかってもうだめだと思っていた時に思わぬ道が開けたり・・・私たちの人生の旅は予測不能なことも多い旅ですが、逆境に陥ってもそこから回復していく強さを誰しも持っています。
また、普段から落ち込んだ時に役に立つ対処法を身に着けていると、より回復が早くなるという面があります。
更に一人で立ち向かおうとすると困難な道でも、一緒に辿ってくれる仲間があると、クリアできる確率は格段に上がります。
それぞれが有意義で充実した人生を送ること、困難から少しでも早く回復してリカバリーへの道を歩み続けられるよう、私たちそれぞれが持っている知恵を持ち寄り、自分らしく生きるために、このりかばりー・かれっじ炭都(TANTO)は存在します。
また、私たちのリカバリー・カレッジは、個々人のリカバリーを通して、地域社会自体のリカバリーにもつながればよいと思っています。
具体的にどのような内容にするかは、これから賛同し、協力してくださる方々と一緒に作り上げていきたいと思います。お互いに無理のない範囲で参加をしてくださることを期待しています。
MEMBERSHIP
One Awesome Desk
Access to an Awesome Community of
Innovative Individuals
2GB Internet Speed
Unlimited Calls Abroad
Happy Hour Every Friday from 18.00
with Free Alcohol!

Membership
私たちの仲間になりませんか?



運営スタッフ校長
増滿誠
まこっちゃん、と呼んでください。

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運営スタッフ
松枝美智子
みっちゃん、と呼んで
ください。
私だけでなく、仲間やこの地域も元気にしたい、とずっと思ってきました。みんなで一緒にリカバリーの学校で学びあいたいと思います。


運営スタッフ
津野稔一
津野さんと呼んで
ください。


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運営スタッフ
宮﨑 初
はーちゃん、と呼んでください。

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運営スタッフ代表
山本智之
ともさん、と呼んでください。運営スタッフ代表をしています。


運営スタッフ
齋藤直毅
なおさん、と呼んでください。


運営スタッフ
碩優子
ゆうこりん、と呼んでくださいwrapファシリテーターです。大阪府寝屋川市在住。普段はグループホームに勤務、日本福祉大学の学生です。リカバリーカレッジneyagawa.RCの運営委員もやってます。


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運営スタッフ
森田佳重
よっしー、と呼んでください。


運営スタッフ
脇崎裕子
わっきー、と呼んでください。


運営スタッフ
江頭薫
えがちゃん、と呼んでください。


運営スタッフ
川堺美香
みかりん、と呼んでください。

私たちが考えるリカバリー
立ち上げのミーティングを通じて話し合ったリカバリーの結論は、100人いたら100人のリカバリーがあり、自分自身がリカバリーだと思えばリカバリーなのだ、ということでした。
ある人にとっては、あれができないからダメ、これができないからダメと、自分にダメ出しをせずとにかく動いてみる、とにかくチャレンジしてみることをしていたら自然と援けてくれる人もいて、いつの間にか到底無理だろうということが実現できていた時にリカバリーを感じたという経験でした。
更に、別のある人にとっては、断れずに仕事を抱え込みすぎてどんどん落ちていく感覚になっている自分に気づき、仕事を断ることができた時にやっと自分らしさを取り戻したという経験でした。
また別のある人にとっては、IllnessからWellnessに気持ちが転換し、薬を飲むかどうかも主体的に自分で選択できるようになった時にリカバリーしている自分に気づいた経験でした。
そして、別のある人にとっては、様々なプレッシャーに圧し潰されそうになって抑うつ的になった時に、様々な人々の支えや援けがあって薬の力も借りながら仕事も生活も続けていけた経験そのものがリカバリーでした。また
更にある人にとっては、過酷な環境の中で荒れていた時代を乗り越え、仲間の支えがあって天職に出会えたプロセスそのものがリカバリーだったという経験でした。
また、ある人にとっては、強い絆で結ばれていると思っていた人との関係性が破局的になった時、近くで見守ってくれた人やそこから脱却する場を提供してくれた人たちの援けがあり、専門職としても人間としても自分自身の成長を感じた時に少しリカバリーできたと感じた、という経験でした。また、別のある人にとっては、非常に落ち込んでいる状態になった時でも、笑顔でいることでリカバリーを感じることができるという体験でした。
そしてある人にとっては、病によって一生懸命頑張ってきたことや持っていた夢をあきらめざるを得なかったとき、信頼する仲間が傍にいて支えてくれたことで、次の道が拓けて、日々の生活の一瞬一瞬を楽しいと思えた時に、少しリカバリーを感じたという経験でした。
またある人にとっては、何不自由なく平凡に生きてきた自分が何か人の役に立つことで、人間的にも成長できるのではないかと感じられた時にリカバリーを感じたという経験でした。
このように、一人一人の中にリカバリーの物語があり、その物語には様々な登場人物がいて、それはその人にとってかけがえのない宝物のような存在であることがミーティングを通して浮かび上がってきました。
一つだけ共通していたのは、リカバリーは一人では起こらず、信頼する人との関係性の中で起こるということでした。私たちのリカバリー・カレッジが其々にとって、安心して小さなリカバリーの経験を積み重ねられる場であったら良いなということが共有できました。そのような時間、場、空間こそがリカバリー・カレッジなのだということを強く感じました。

私たちの夢
夢って何でしょう?昨日見た夢のこと?それとも将来自分がやりたいこと?これまたそれぞれにとっての夢がありそうです。
立ち上げの準備をしているある日のミーティングのテーマは「夢」でした。近所の人たちがどこからともなく立ち寄り、語り合えるカフェをいつか開きたい、それがAさんの夢でした。Bさんの夢は、コロナ禍で疲弊している看護職者が少しでも元気になれるように支援する活動が円滑に進むようにすることで、看護職者が元気を取り戻すことでした。Cさんの夢は、いつか立ち飲みができる場を作り、そこに集う人々と交流することでした。
Dさんの夢は、若い頃に目指していたことを、再び目指したいというのが夢でした。Eさんの夢は、AさんやDさんの夢と共通していて、人々が気兼ねなく安心して集える場所を古民家を利用して創ることでした。

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